kokohananaの日記

アラフォーの愛着障害、二児の母の発散ブログです。

家族が怖い

元気な時はいいのですが、

体調やメンタルを病むと

家族と一緒にいるのが苦痛です。

仕事を辞めてしまったので

自分の存在意義を無くしてしまいました。

家事だけはしていますが、

今朝イラついた娘に

「仕事もしてないくせに!」

と言われてしまいました。

 

昼休憩に夫が帰宅するので

その時間は外出しています。

夫は以前から昼は大抵

イライラ不機嫌なので、

顔を合わせたくありません。

今は私が無職のため余計立場がなく、

仕事を辞めてから1週間、

1度も昼は会っていません。

 

私は家族の中で役割や仕事があるから

存在できていただけなんだと

つくづく実感しています。

皆が自立していくにつれて

役割がなくなると、

どう存在したらいいかわかりません。

仕事に逃げることが一番楽でした。

今日も職安に行き、フルタイムの仕事に

目星をつけました。

 

とりあえず家から離れられれば

仕事なんかなんでもいい。

家に居場所がないから外で働く。

2年半くらいで限界がきて仕事を辞める。

私はずっとこのパターンです。

 

家も家族も、私には安らぎや癒し、

安全基地などではありません。

義務と役割を果たさなければ

いられない場所です。

 

夫も子どもも持つには責任が伴うのに、

安易に得てしまった自分のバカさに

苦しんでいます。自業自得ですが…。

 

結局私の苦しみは、

家族トラウマが根っこなんだと思います。

ですがあながち間違っていないので、

(役に立てねば存在できない)

修正しようにもできません。

 

これから歳を重ね、

どんどん衰えていくので

私はますます生きるのが辛くなるでしょう。

 

もう1人になって、落ちるとこまで落ちたい。

そうしてやっと安心できる気がします。

 

 

外側から眺めている

息子の行事の見学に行ってきました。

私は元不登校なので、

学校は苦手な場所でした。

が、子どもの成長と共に

苦手意識は薄まり、

今は単純に子ども達の楽しそうな姿を

眩しく羨ましく見つめています。

 

私は当時からずっと蚊帳の外から

皆を眺めているな…

輪の中に入ったことがないなと感じ、

これが私の孤独感疎外感で、

愛着がないゆえの感覚だと思いました。

 

当事者感覚がなく余所者のように感じ

没頭没入することが出来ませんでした。

素直に今を感じ笑ったり悔しがることが

ないので簡単に忘れるし

思い入れがないから捨てられます。

人との関係も深入りしないので、

始まりも終わりもないのだと思います。

夫でさえ、今感情整理が進んでいるので

数年後にはお互いサラリと離れられそうです。

 

こうして書くと、

なかなか私は重症だと気付きます。

こんなに淡々と準備出来るのは

他人も自分にも期待できないからだし、

もうここまで来たら、

人と密着し生きること自体を諦めたほうが

いいと思っています。

自分を知れば知るほど、無理だなと思います。

なかなかここを認め諦めるのが

苦しかったです。

人じゃなくなるみたいな気がしていました。

でももう観念するしかないなって思います。

 

 

 

 

愛を知りたい

夫とは共依存でした。

歪んだ関係だったと気付き、

今は一線を引いて暮らしています。

 

それまでベッタリと生きていたので

寂しさを感じます。

自分は依存心が強いと

自覚出来るようになりました。

 

夫に対する愛は依存だったと

認めるのはしんどかったです。

父への適応法を夫にもしていただけでした。 

 

愛着障害の私は、愛がわかりません。

親に感じていたように、

夫もいつかいなくなると信じています。

先にいなくなられることが怖過ぎて、

自分から離れようとするため、

いまだに試し行為ばかりしてしまいます。

もう夫もウンザリしているのがわかります。

私が自立しない限り、

愛など理解できないでしょう。

 

子どもに対する愛はあるつもりでしたが、

きっとこれもただの過保護でしょう。

甘やかしているだけなのだと思います。

一見順調に育っていますが

後々トラブルがあっても驚きません。

その時は逃げずに向き合う覚悟です。

でも何もなければ、

自由に暮らせばいいと思っています。

老後の面倒など絶対に見てほしくないです。

 

私は夫より子どもより自分が一番

低スペックだと自覚しているので、

迷惑にならないことをよく考えています。

でも裏を返せば、皆もそうするべきと

思っているような気もします。

親に頼れなかったから親の面倒もみない。

子の世話は責任があるからするけど、

子に世話になるのは絶対に嫌。

夫に世話になりたくないけど

世話もしたくない。

(夫が病む姿が想像出来ないだけかも)

私って勝手ですね。

いや、思考がこんなことばかり

考えているんですね。

書き出してみるとわかります。

幸せになれない思考だなって。

 

 

41歳

現在41歳の私。

35歳頃から切実に焦っていた。

結婚して子どもが生まれて数年。

幸せの絶頂を少し過ぎて、

自分には何もないことに気付いてしまった。

夫は仕事に打ち込み趣味もある。

子どもは日々成長していく。

私はフォローとケアに回るのみ。 

家族といえど他人という感覚がある私は、

皆がいなくなった時の自分を

意識し始める時期に差し掛かってしまった。

 

逃げ続けた薄っぺらい人生。

私には努力も成功も特技も趣味も

何もなかった。

それでも必死で絞り出して、

「これこそ一生の仕事だ!」と

35歳の時に再挑戦した仕事も、

3年弱で辞めてしまった。

 

そして紆余曲折あり、

自分と向き合ってみたものの…

絶望するしかない現実が見えてしまった。

 

産まれからハードモード。

所謂「普通の人生」なんて望めない。

親があんなに世間体重視だったのは、

本人達が世間に適応出来なかったから。

底辺育ちの私が普通を望むのは、

そもそもムリだった。

…3年かけてここに気付き、

もがいてみたもののしんどいわと

また仕事を辞めて一息ついている今の私。

 

年齢も重ね心身が老いていくのに、

私は一体何をしているんだろう。

 

母として妻として、

最低限の家事はしてきた。

いや、自分なりに精一杯やってきた。

他人と比べたら落ち込むけれど、

私のキャパはこんなものだと認めるしかない。

 

夫には感謝より嫉妬が湧く。

仕事で認められ頼りにされて羨ましい。

心身丈夫で人付き合いも上手くて羨ましい。

一番身近にいるのに心はどんどん離れ、

一緒にいるのがただただ虚しくしんどい。

自分の(夫も)キャパがわかるだけに、

離婚は子どもに負担がかかるからしない。

親の責任だけは果たしたい。

ただこの一点だけが夫との共通認識。

子どもの成長を感じるたび、

カウントダウンを意識する。

それは不安でもあり楽しみでもある。

そんな複雑な心境に自分も慣れない。

どう今を生きればいいんだろう。

そんなことを考え迷い、

日々の中にささいな楽しみを感じている。

なんとも不思議な心地で生きている。

 

しんどい。

生きるのはなんてしんどいんだろう。

素敵な人でいたかったのに、

真逆の人間になってしまった。

それでも、夢を見る自分がいる。

もがく自分を可愛いと思う自分がいる。

情けなくダサくどうしようもない私を

すべて引っくるめて受け入れられる。

自分だけは自分を

見捨てないと決めた日から

それは変わらない。

そう思えるようになっただけでも、

無駄ではないのかもしれない。

どうしようもないこの自分のまま、

もがいていくしかないと

腹をくくれたから。