kokohananaの日記

アラフォーの愛着障害、二児の母の発散ブログです。

相談してみた

今朝のことでわからなくなったので、

県の子ども相談所に連絡してみました。

 

私は娘を産む前からなんとなく

女の子だったらうまく愛せない

予感がありました。

なので周りに相談したり

一人で抱えこまないようにしてきました。

 

話を一通り聞いてもらうと、

娘の状態は典型的な

反抗期そのもののようです。

テンプレートのように、

皆と同じ態度のようで安心しました。

 

今は食事と掃除は母の責任と思ってましたが

娘が送迎も頼んでくるのなら、

そこも受け入れた方が良いようです。

 

ただ私は、自分自身が送迎をされず

歩いて学校に通っていたので

拒絶感と抵抗が強いんです。

今までは娘が暴言吐かなかったから

受け入れられていたのですが、

なぜ暴言吐かれてまで私が嫌なことを

我慢して送迎しなきゃいけないの!?

心理的な拒否感が強いんです。

偉そうなこと言うなら自分で行け!

と突き放したいのですが、

子ども側からすると、掃除食事送迎は

親の義務のように感じているのかも…

それすらしてくれないなんて、

私愛されてない、可哀想😢

娘の気持ちってこういうことなのかも

知れません。

 

私は心を無にして、掃除食事送迎します。

 

私自身が親と絶縁していることや

家庭環境も話をしたら

「それはお母さんきついわ…

よく頑張ってる。十分だよ」

と言われて思わず泣けました。

 

毒親、機能不全家庭の連鎖を断ち

娘に幸せになってほしい気持ちは

強くあるので

(いずれ疎遠になるのは想定内)

現実的な対応策を考えて

行動したいと思います。

 

具体的には、

私の感情が乱れるのはもう仕方ない。

自分で受け入れつつ、

娘を傷つけないために距離を取り、

三者に助けを求める。

が今できることかなと思います。

今週心理内科に行くので、

そんなことを話したいと思います。

 

 

 

甘えにイライラする

月曜日ですね。

我が家は朝から一悶着起きそうでした。

なので外に退避しました。

 

娘、朝は送迎してもらいたいんです。

歩くのが面倒くさい、遠いから。

朝のルーティンがどんどんズレ込み

ギリギリまで動かないので

挨拶当番など間に合わない事も

あるようです。

 

反抗期に入り、私に対して甘えと

拒絶が強くなり、暴言や傷つける言葉を

吐いてくる娘に対し、

人として許せなくなりました。

 

「ママになんかもう何もしてもらってない」

と言ったそばから送迎を頼むなんて

どういう神経してんだこいつ💢

 

自由に振る舞いたい、

責任は負いたくない。

それを許してはいけないと思います。

 

私が腹を立てたり、

どうにかその甘えを許さないよう

工夫するのも必要なのではないかと

思っています。

 

送迎してしまうのは簡単ですが、

今私がそうしたら、

娘は自分の言葉や言動で引き起こした結果を

受け止めることができなくなる。

 

と思うのですが、

 

すくすく育ってる方の話を聞くと、

親が送迎してくれていたようなんです。

それを当たり前だと思っていて、

大人になり感謝するようです。

 

私自身が突き放され甘やかされず育ち

親に感謝どころか絶縁してホッとするという

異常事態なのは、

自分自身が甘えられなかったから

娘の甘えを受け止められないだけ?

それもありそうです。

 

私はどうしたいんだろうと考えても、

よくわかりません。

 

夫は母に送迎してもらってきたのだから、

夫がしてくれたらいいのに…。

夫は自分最優先なので気まぐれだし、

実母が頼りになるので母とは

そういうものだと思っているようです。

 

難しいです。

 

 

やることをやる

昨日の気付きから

楽になったことがあります。

 

それは娘に私の気持ちを

わかってもらうことを諦め

私は私の責任を淡々と果たすだけでいい。

 

わかり合いたくて話を重ねて

伝わらず喧嘩して嫌な気持ちを

増幅させていましたが、

わからないならわからないでいい

という状態を認めました。

 

私がするべきは無理に話をするのではなく

母として私としてするべきことをする。

 

昨日はリビングでごろ寝して、

私の声かけを一切無視する娘に対し、

掃除して食事を出しました。

午後からは自室でゆっくりし、

娘の存在に振り回されることなく

淡々と過ごせました。

 

コントロール欲求を手放すとは、

こういうことなのかもしれません。

 

私は歪んだ思考で他人を過剰に

助けようとする癖がありましたが、

(思えば両親にもそれを発揮して

結局うまく行かなかったのだから、

親のせいではなく私のカルマだった)

それに気付けました。

 

私は私らしく生き、

娘は娘らしく生きる。

その中で縁があれば一緒にいるし、

縁がなくなれば離れていくだけのこと。

親子という関係はそういうもの。

親に対して思えていたのに、

子には執着していました。

 

○ねとまで憎み合う関係って

どういう因縁なんでしょうね。 

ここまで深い感情を引き出し、

因縁を探ろうとさせてもらい

結果手放せるのだから、

激しい感情を呼び覚ます人というのは

ある意味ありがたいです。 

 

ま、思考でそう思うけれど、

感情的には嫌な人は嫌ですね。

娘の態度は嫌いなままですが、

そこにフォーカスせずやることをやります。

職探しとか、大掃除とか。

 

善悪

悪い友と交るな。卑しい人と交るな。善い友と交われ。
尊い人とまじわれ。
『ウダーナヴァルガ』第25章3

 

私は迷いが生じると、

ブッダの言葉を検索しています。

心の師であり心の父である方に

迷った時の灯火として教えて頂きました。

 

私の悩みは、悪い友、卑しい人と

交わってきたことでした。

そういう人を助けようとしたことでした。

今世の原因としては

親子関係が影響していたと思いますが、

これは私のカルマなんだと思います。

繰り返してきたことであり、

気付くまで終わらない事なのだと思います。

 

今までことごとく、

理不尽な攻撃を受けました。

 

自己主張するな、笑うな(時には真逆)

従え、どこかに行け、消えろ。

 

その根本には嫉妬があったのだと思います。

 

注目されて悔しい、ずるい。

なんであんたばっかり。

ちやほやされて気に入らない。

なんであんたにばかり皆優しいの。

 

注目されるのが怖かった。

妬まれるのが嫌だった。

目立つと攻撃されるのが怖かった。

 

だから、私は何も持っていません。

私は特別ではありません。

丸裸になり敵意がないことを示し、

無防備でした。

 

そういう私に近寄るのは、

まともな人ではなかったんですね。

搾り取ろう、利用しようとする人でした。

 

私はすべてが皆平等に良い人なのだと、

どこかで間違えて信じこんでしまい、

それが今世の苦しみに繋がっていました。

 

ブッダでさえ、全ての人が善人である

なんて言っていませんでした。

 

正しく見よ、

良い友、尊い人と交われ。

と人を見極める必要を説かれていました。

 

つくづく、私はおかしな思考でした。

食われるための思考で

生きていたから苦しかった。

ただそれだけのことでした。

 

 

 

 

 

寄り添う

思春期娘との仲が最悪です。

 

○んでくれ、邪魔、どっかいけ。

心の中にひどい言葉が浮かび、

そんな自分を責めざるを得ませんでした。

 

自責癖やインナーチャイルドに気付いて

2度と自分を責めないと誓いながら、

道徳的に反するこの感情は

悪なのだと裁いていました。

 

何とかして無くしたい。

なぜこんな酷いことが浮かぶんだ。

原因を見つけようとしましたが、

そうじゃなかった。

 

ただただ、

 

そうなんだね

 

と眺めているだけでいいんだ。

それが

 

寄り添う

 

ということなんだ…

と、大きな気付きがありました。

 

私には、道徳や常識に縛られすぎる

癖がありました。

 

こんなこと思ってはいけない!!

と、感情自体をなくそうとしていました。

 

感情をなくすのは無理だと

頭ではわかっていましたが、

○ねとか消えろなんて

絶対に思ってはいけないことだと

戒めていました。

 

いいんだった。

感情は移ろうものだから、

ただ眺めていればいいんでした。

 

思ってはいけないこと、

湧いてダメなことなんてなかった。

それを口にしたり行動に出すのはNGですが

思うだけ、感じるだけなら自由とは

こういうことだったんですね。

 

無意識に刻み込まれていました。

この感情は、持たれた側は危険ですもんね。 

だから牙を折るように、

思うことさえいけないことなんだと

感情を殺して自分を否定したんだ…。

 

娘に対する怒りはこれか。

娘が見せてくれたのはこれかぁ。

 

私が人の話をついジャッジしてしまうのも

自分で自分を裁いていたからですね。

 

自分は当然守っているのに、

他人はなぜこんな好き勝手いうんだ!

やりたい放題でいいんだ!!

おかしいだろ!!!

真っ当に生きろよ!!!!!

って怒っていたんですね。

 

悪を許容してはいけないと

善に偏り過ぎていたんだ…

 

元々の私は清濁合わせ飲めるタイプだと

思います。

縛られていたから苦しかっただけなので、

今気付けてよかったです。

 

 

 

 

繰り返してきたパターン

先月まで働いていた会社では、

沢山のことを学ばせてもらいました。

仕事もですが、人間関係の学びを得ました。

その中でトラウマに触れたのが、

パワハラモラハラ上司(父を投影)

自己愛先輩(母を投影)でした。

 

自己愛先輩とは、

最初は仲良く過ごせていました。

が、段々と妬まれているのを感じ始め、

遠回しに辞めてと会社の悪口を聞かされ、

最終的に先輩は上司を丸め込み

私を悪者に仕立て上げました。

 

これと同じことを母にされていたんです。

母は幼い私に祖父母や兄姉の愚痴を

延々と聞かせていました。

私は母を守るために祖母に立ち向かい、

母はそんな私を切り捨てました。

「お前が悪い、お前のせいだ」と

祖母に歯向かう私を悪い子だと責めました。

私は傷付き、そうなのだと信じました。

ずっとその時の傷を抱えて生きていました。

 

自己愛先輩に怒りが湧いた時、

やっと自分に意識が向きました。

その人がしたことがどういうことなのか

事実を認識できました。

 

毒親は自己正当化するので、

私は母を守るべき存在で

盾や剣にでもなったつもりでした。

母の道具のように使われる存在なのだと

間違った自己認識を持ってしまいました。

 

そうしてずるい人を守るような意識が、

私の中に植え付けられてしまいました。

 

だから今までに何度も何度も何度も、

私はボロボロになりました。

それなのに「私は弱い、無能だ」と

自分を更に責めていました。

 

無意識がおかしかったんだと気付いていくと

自分を傷付ける人に囲まれて育つ恐ろしさを

痛感します。

 

ずるい人を守るという狂った認識が

私にあるなんて気付きようがないんです。

そもそも育ての親がずるいだなんて

認識できていないからです。

 

何度も何度も何度も虐められ、

ずるい人に喰い物にされる自分に気付き、

なぜなのか理由がやっとわかりました。

 

毒親は問答無用で

「人を差別するな、平等に接しろ」

「自分より他人を優先しろ」

と教育しました。

自我をへし折るのが親の役目のようでした。

 

だから私は自分を一番下にして、

他人を見上げるようになりました。

他人優先が浸透しすぎて生き辛くなりました。

 

そりゃ、ずるい人ホイホイですよね…

マトモな人からしたら気持ち悪いですよ。

食い尽くし系しか寄ってきませんよね。

 

私の生き辛さは、

ずるい人間に育てられたため

自尊心がないこと。

これもひとつなんだな…

 

自己愛先輩のおかげで、

人を見極める必要性にやっと気付きました。

人間関係も自分が選んでいいんですね。

 

 

 

家族はいらない

ブログなので、

常識とか忖度せず

本音を吐き出してみます。

 

私、家族はいりません。

実家とは絶縁しています。

義実家にも年に数回しか会いません。

夫や子どもとも会話がなくなり

一緒にいても楽しくありません。

いずれ私は1人になります。

 

言葉にすると完全にヤバい人ですね。

抵抗したくて認められませんでした。

でもそれが本音です。

 

夫とは心が通じることなく、

お互い役割を果たす関係。

子どもにとってもそうです。

母として世話して育てるだけ。

親ともそうでした。

親の思い通りにならない子はいらないので

私は嫌われていました。

 

私が自分を理解できていれば、

家庭は持ちませんでした。

 

持ってしまったので責任は果たします。

 

だけど、

私には家族はいらない。

家族という重いものは必要ない。

これはきちんと自覚していようと思います。

自分を知らなければ、

望みすら永遠にわからないから。